住宅顕信

夜道を歩いていた折、突然よみがえった。

春風の重い扉だ
水滴のひとつひとつが笑っている顔だ

顕信ブームはもう去ったのだろうか。じつはそうであって欲しいと思っているなんて言うと叱られそうであるが、昨今の「命」ブームとオーヴァーラップされるのはチョット哀しいと感じていたのである。

「未完成」は確か彌生書房から出版されたはず。地味な装丁。なんのケレンミもない造本。マスコミで騒がれ始めたとき、それが大量に再販されていくのだろうと思っていたのだが、別の出版社から数冊が刊行されたのを見て、がっくし来た。

なんか、月刊カドカワというか、ダヴィンチというか、そちらの方を連想してしまう造りではないか。

T社のなんか絵本みたいだし、S社はやっぱりイメージ写真が挿入されているし、広告代理店経由ですか?と嫌味を言いたくなった。(S社の文庫シリーズには敬服しておりますが、俳句にイメージ写真って必要でしょうか?)

でも、昔からのファンにしてみれば多くの人たちに知ってもらえる絶好のタイミングだったわけで、オレみたいな素人読者の岡目八目然とした態度は業腹なことだろうと思う。

いやまあしかし、岡山県というのは実に個性的な人材を産する県だなあ。
西東三鬼、阿部青鞋(居住)、住宅顕信大森荘蔵、、土屋賢二(笑)・・・まだまだいたはずだ。

夜道をそのまま歩いていると、どうしても顕信から波郷へつながってしまった。

今生は病む生なりき烏頭
霜の墓抱き起されしとき見たり
泉への道後れゆく安けさよ

「泉」の句は、どうしても馴染めなかった波郷がぐっと身近になった一句だ。顕信の掲句とともに、終生愛吟することになるだろう。