郷愁がわたしを殺す
臨死のさいに主観的時間が飴のようにのびて、そこで実際の来し方と同じ位か、あるいはそれ以上の長さの別人生を経験をする(のかもしれぬ)というのは、内田樹先生だけでなく、べちとま大先生もどこかで述べておられました(200冊を超えたという御著書のどこかにあるはずです)。
まァ、それくらいの想像は誰でも一度はするものなんだと思いますが、こないだ新刊本屋さんで立ち読みした、立花隆『死はこわくない』(文藝春秋 )によりますると、二度臨死体験した人の話では、一度目は極楽界、二度目は地獄界だったそうです。というのは、どうやらそのときの物理的環境がそのまま臨死のさいの想念世界に反映されるそうで、二度目のときはシーツが冷たくて肌寒く感ずる環境にあったのだそうです。なので立花氏は、自分が死ぬときは熱くもなく冷たくもないコンディションでお願いしたいものだと述べていました。
おれはですね、
ハっと気づいたら伯剌西爾の海岸で日光浴から目が醒めて、「はて?なんでアホな日本人野郎になった夢なんかをみていたんだろうか?」と呟く、陽気なラテンミュージシャンに変容した想念世界に移行したいですね。そのためには暑い部屋で臨死しないとだめなんでしょうかね? BGMがスレイヤーは絶対にダメでしょうね……。
じつは、臨死のさいのリクエストBGMはもう決まっていて、シンフォニーをバックにしたヴァージョンの Dick Farney:A Saudade Mata a Gente なんですが、なかなか Youtube にはアップされません。近所のカフェで聴いて一発で気に入っちゃった曲なんですが、調べたら前ボサノバ期のブラジル産ポップスにカテゴライズされるらしいことが分かりました。それをエンドレスでかけてほしいのです。
今回貼らせていただいた以下もこれはこれで味わいがあります。