日本人のために命を落としたとつくにびとって、李秀賢さんとともに、ペルーのジュスティ判事(人質)、ヒメネス大尉、バトラー大佐らも思い出すんだけども、鱸ムネ翁はヒメネス大尉の弟さんが日本へ留学する際に世話をしたらしい (リンク先:)。
しかるになぜムネ翁はジュスティ判事については言及されていないのか? わたくしは事情にまったく疎くて見当もつかぬので一寸ぐぐってみたら、ジュ判事は反フジモリ勢力の有力者だったとの記述を目にした。これが正しいファクトなのかどうか、あるいは、ムネ翁がジュ判事に言及されていない理由がこれなのかは分からないのですが、気が向いたら自分で調べてみるかも知れません。