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■きょうもネガティヴムードです。

■先日あるひとから、'80年代後半のあぶく経済期に味わったパラダイス的状況を30分間延々と聞かされて参った。まとめると、五年間で遊興に費やした額は四千万円に達していたとのこと。ただし、いかに好待遇だったとはいえ一介の工場長(中小企業)の身分では無理なはなしで、遊び好きな社長夫妻が毎晩のように社員を街に連れ出してくれた恩恵分(人材引きとめ工作の一環でもあったらしいが)を含めて、とのこと。

■ご相伴も楽しかったが、可処分所得だけでも週末は温泉、連休が来れば国内外の旅行三昧が可能だったし、自家用車だって何台も買い替えたとのこと。「おまけに当時はツキまくっていたんで、ギャンブルやっても毎月十万は黒字だった」とのこと。「おかけで一生分のツキが尽きちゃったね。その会社も馬鹿息子に代替わりした途端に傾いてお仕舞ぃ。プァハハハ!」

■「あんたはどうだった?」と振られ「残念、私はまだギリギリ学生でした」と返答しその話柄を強制終了させた。

■私にとってあの好景気時代はひとことでいって嫌な時代だった。現在、大卒者が定職を得るためには三年時から就職活動をせねばならないというから、断然恵まれた状況にあったには違いないけれど、時代の心象として残存しているのは、クリスマスシーズンに表参道で一物を丸出しにして立小便していたサラリーマン酔客二人。そして同じくクリスマスシーズン、葦のやで牛丼を食べていたときDCブランド(死語)に身をつつんだ青年が闖入して叫んだ「よーしのーやーのおおおっっ、牛ぅうううどおおおおんっっ!!!」である。

■いまや億万長者の方でも牛丼屋さんのファンであることを公言して憚らないし、オフ会なんかでハプニング的な悪巫戯が流行したりする昨今では、この程度の冗談は大したことではないかもしれない。でもあの時代、葦のやでメシを食っていた私が感じたのは「嘲り」であった(それ以外の感想はあり得なかったと思う)。店員および客人たちから冷たい視線を受けたその青年は「こえ〜よ〜」とおどけながら外に戻り、仲間の男女が「ぎゃははははっっ!」と彼を迎えていた。

■店内は静まり返っていた。私は「未曾有の好景気時代を迎えた日本人は、ようやく、皆んな揃って生活をエンジョイすることを試行錯誤し始めているのだ。ああした『山出し』が散見されるのも仕方ないことなのだ。」と黙考した。

■葦のやではいろいろと感無量な場面を見てきた。突然「てめえぇえこの泥棒っ」と男が叫んで青年に殴りかかって、どうやら自分のビニール傘を盗まれたのだと思ったらしいのだが、それに対して怒り心頭に発する青年の主張では「俺の傘だよ馬鹿野郎!」。仲裁に入って、すでにひん曲がってしまったビニール傘をとりあげる店員さんの虚無感......推して知るべし。

■またとある日のこと。義足のひとが倒れてしまったので、俳優・平泉成に雰囲気の似たサラリーマン氏が抱き起こそうとするが、介助のポイントが難しいらしく上手くいかない。再度倒れてしまったそのひとは「おれに触るんじゃねええっっ!」と涙目で絶叫。平泉氏はムッとした表情で出て行ってしまった。残されたひとたちはその剣幕に圧されて何もできない。カウンターから店員さんが出てきたが拱手するばかり。葦のや初体験でワクワクの様子だった女子高校生二人組は押し黙って下を向いている。もがく義足のがちゃがちゃ音が響くばかりの店内。とりあえず店員さんと私で彼の両腕を抱きかかえる形で一挙に持ち上げて椅子に下ろせばいいのではないかと思って立ち上がった瞬間、彼はなんとか独力で態勢を整えた。老人大国となりつつある日本。介護技術のイロハを義務教育のなかでも教えるべき時代なのだろうなと思うた。

■「人間交差点」的光景を目の当たりとするのは、Macudoに於いてではなく圧倒的に葦のやに於いてである。

■まだいろいろと書いておきたいことがあったが忘れてしまった。そのほうがいいだろう。皆さんお休みなさいませ。