谷内六郎さんが死去されたときに、父が宮城まり子さんに電話をかけていた姿をぼんやり記憶しているが、その父も約十年後に宿痾の喘息が原因で死んでしまった。
じつは、そんなことだけで、ドゥルーズという哲学者には一寸親しみのような気持を抱いているのである。
チェ・ゲバラについてはどうかと問われると、正直親しみのような気持を抱いているというわけではないのだが、かれが笛声喘鳴で苦しむ姿が想像されて「さぞや辛かっただろうな……」と思うことはある。
わたしは小学生までは喘息持ちであったが、ありがたいことに中学生以降まったく発作が起きなくなった(ごくごく稀にはあるが…)。
ちなみに母の父親も喘息が原因で死んでいる。