なつかしい奴さん

中学2年から高校3年までの4年間、お向かいの2階に間借りしていた大岡山工業大学生は広島出身だったらしく、広島×巨人戦ではカープが得点をあげるたんびにパチパチパチとことさら大袈裟に拍手を打ったりするもんだから、われらが栄光の巨人軍が得点をあげるときにはここぞとばかり一層大袈裟に拍手をうち返してやるオレ様なのであった。

なので家の前で奴さんと擦違ってもオレは完全に無視されていた。
もとよりオレも挨拶する気などさらさらなかった。

当時の大学生は近所の小学生らとなんとなーく知り合いになったりするもんだったので、時折おれの母校の後輩とおぼしき馬鹿ガキ連中が勝手に奴さんの部屋にあがりこみ、「だめだだ〜めだ!きょうはだ〜めだ!!」と大きな声で追い返されたりして、その際かれらが、「またあの女のひとが来るの?!」などと近所に知れ渡る大声でその理由を問うたりするので、奴さんは可也あわてているようだった。ちなみに馬鹿ガキ連が推察したとおり、そうした晩はちょいと綺麗な女性が泊まっていくのであった。

なにせオレの部屋からのぞける距離だったので、お互いどんな生活をしているかダダもれだったのである。が、プライバシーがどうのこうのという不平は広島×巨人戦でのわざとらしい拍手合戦以外はなかったのではないかと思われる。

しょっちゅうやかましい音楽をかけながしにしていたオレ様ではあったが向こうからイチャモンを入れられたこともついぞなかったし、向こうはむこうで録画していた「笑っていいとも!」なんぞを酔って帰宅した深夜に大音量で鑑賞しながら「ギャハハハハ!!」などと無責任に笑いを炸裂させたりすることもままあって、とはいえオレとしても、「奴さん笑いのレベル低すぎっ」と蒲団の中で嘆息させられるだけのことだったのだ。

お向かいの小母さんから聞いた話によると奴さんは無事東京の一部上場超大企業に就職されたとのことで、卒業と共にとっとと去っていかれたのだった。