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学生時代の春休みに3日間だけ所謂事務所移転のバイトをやったことがあった。
場所は羽田周辺だったろうか、それとも芝浦あたりだったろうか、某大企業がまるごと新築のビルに移転するさいのオフィス什器等を搬出する仕事だった。
大井町にあったプレハブっぽいニンク手配屋に面接にいくと社長と呼ばれる小柄なおっさんが「16時には上がれる。場合によっちゃその前で終了もあるかもしれん。そうなってもちゃんと日給分払うよウチは。それからナ、弁当がつくのよ弁当が。あんたアルバイトニュース隅からすみまで読んでみい? こんな好待遇の日雇い仕事ほかにあるかいな?」と云われ、弁当がつくのは有難いことだと素直に喜んだ。事務所を出るときその社長から「家から弁当持ってこんでいいからな、3日間でるからな」と念を押された。
朝行くと小さな事務所には大勢の男たちが結集していた。学生も少なくなく彼らの大半は春休み期間フル契約のようであった。社長の相棒らしき“部長”とよばれる首の太い男に誰かが「トイレ借ります」と言うと、「ばかやろう!んなもん駅でしてこいや駅で!」とつっぱねられていた。別のひとりが「明日休みたいんですけど」と社長に談判にいくと、「あっほんだらあ!! 儂がとってきた仕事に穴あけるキかあああっ!」と胴間声を上げられ、頬を赤らめながら引き下がっていた。
最終日の帰りの電車でN大の二人組と一緒になったので世間話をしていると、かれらはアルバイト期間中どちらかのアパートで一緒に暮らしているらしいことがわかった。非常に驚かされたのはふたりが毎晩律儀に仕事の算段をしていて、そのうちいろいろと不安になって来て寝られなくなってしまうので、日本酒をかっくらってようやく眠りにつくのだと漏らしたことだった。
たしかに彼らは現場の大人たちから指示を受け、それをバイト連に伝える大切な役割をおおせつかっていたのではあるが、実際に仕事の算段をするのは(あたりまえであるが)運送会社の人間である。作業工程上ふたりが独自に判断すべきプロセスもあるにはあったように見受けられたが夜心配で眠られなくなるほどのことであろうか……。
当時、あまりにも真面目なかれらの労働観に若干滑稽な印象を受けはしたのであるが、いまそれを思い返しているうちに、「なんて真面目な男たちだったのだろう・・・」と、正直オレは感心しシミジミとした気持すら味わっている。全国民がウワっついていたかのように語られるバブル経済期ではあるが、かれらのように極めて真面目な勤労青少年が存在したことも亦事実なのである。
(つづくかもしれん)
追記:たぶんつづかない。