随想平成乙未乃夏(第五段)

おそらく今夏の東京は少なくとも夜は過ごし易かったと総括していいのだろう。
一番暑かったころのとある日の熱帯夜であるが、某所の駐車場で人が倒れている姿――より正確に言うと――両膝から両靴先にかけてが見えたのでそのままそっと近づいて見ると、地味なスラックスに麻っぽい半袖を召してサファリハット的な何かを被ったお爺さんが仰向けになってらっしゃった。
お爺さんは薄目をあけていたのだろう、おれが様子をうかがうのをみとめたらしく田中角栄のようにサッと掌をあげてみせた。
「なんだあんまり暑いのでこんなところで涼んでいるのか。単なる飄逸な酔っ払いでよかった」と思いながら、おれもサッと角栄さん、というよりは警察官風な敬礼を返して差し上げた。

このような折には何かお約束的な挨拶言葉があれば便利なのだけど一体何がよいのだろうか。「ねずみに引かれんようにな」では誤用だし、「風邪ぇひきまっせ」ではいささか季違い気味だし、かつ、年長者にたいしては若干無礼な気もするし、出来れば東京弁で返したいしで、結局何も思いつかないまま秋を迎えてしまったことであるよ。