なにごとにもそれにつきものの連想というものはたしかにありまして、たとえばわたくしは、「深夜のビートたけし」からは「谷山浩子」がいまだにリンクしてしまうのであります。
当時のわたくしの感覚では谷山浩子の語り口からは漫研に所属している連中のそれに近いものが想起させられて最初のうちは親しみを感じなかったのです。じつはわたくしは高校生になってもウルトラセブンなんぞの再放送をしっかり観てしまうタイプの人間だったのでクラスの漫研連中と共有している「趣味」も多々あったはずなのですが、漫研、いまだと、おたくと呼ばれる人々との相性ははなはだ悪く、別段反目していたわけじゃないんですが、一切の背伸びを望まずいつまでも中学生ぶりを引きずったかれらの在り様に、なんていうか、腹立ちというか、「君らにはついていけないよ」感がはんぱなくて、それでもたまにかれらと一緒に帰宅することもあったんですが、高校に入学して既に1年以上経つというのに相変わらずの中学野郎ぶりな立ち居ふるまいをまえにして堪らず「うへえ」と降参させられる仕儀とあいなるのが常でありましたので、個人的にそのような連中とどこか同じにおいを嗅いでしまう谷山浩子の語り口に対してはどうしてもひっかかりを感ぜざるを得なかったわけでありますが、1部のビートからそのまま2部の谷山を視聴聴取することが惰性化するなかで、なんといいますか、たけしの「ばかやろうこの野郎!」的な圭角際立った世界と180度逆向きのポジションにあたる谷山ワールドが、どうたとえればいいか、あえて喩えるのならばそれほど期待していなかったシングルB面曲の絶妙なるミスマッチ感覚に気づくようになったとでもいえばいいのでしょうか、兎も角そんなコントラストにそこはかとない心地よさを覚えるようになったわけでありまして、また、よく聴いてみると彼女にはなかなかのボケ/突っ込み能力があり、言い澱みやリップノイズが殆どなく立て板に水な一面もあって、さすがオールナイトニッポンのDJを務めるだけのお方なのだなあと感服するようになったわけであります。
ちなみに、わたくしにとっては、「ダンカン馬鹿野郎!」ではなくて、「なんだおまえは、すがぬま、馬鹿野郎…」なんですよ。「!」が付かずトーンダウンしていくんです。。。いまでは誰もすがぬま伸のことなど覚えていないかと存じますが、かれ、現在でも日本のどこかで営業しているのでしょうかねえ・・・。