うらみ骨髄の巻

びんたというと、やはり水木しげる先生を思い浮かべる方も多かろうかと察するが、考えて見ると馬鹿ガキだったオレ様も、小学校・中学校と、いったい何発食らったのか知れやしない。もちろん大日本帝国陸軍ビンタのような顔が変形するほどの激しい打擲は、よっぽどのことをした悪童以外の者が食らうことはなかったのだが……。

哀れなはなしであるが当時の生徒たちの感覚では、打擲される側も「体罰はそれはそれで必要悪なのだ」と納得していたところがあったのである。先生からあれほどもってくるように言われていた定規セットを忘れたのだからビンタもしょうがない、あれほど掃除をさぼるなと言われていたのにさぼってしまったのだからしょうがない・・・と。

そんな隷属精神から蒙を開かれたのは、中学時代の技術家庭教師・Wのおかげであった。

じっさいWは一目おかれていた。それは、ずーっと歳上の親戚のお兄さんのような親しみやすさと、一度切れたら一挙に鬼に変容してしまう性質との、陽陰両面からであった。

Wが切れるとどうなるか。
まずしばらく声がやむ。
「あれ?」と生徒どもは注目する。
そこで私語に夢中になっていてWの標的となったあなたが気づいてももう遅い。
目がすわり、突発性チック症というのだろうか、不随に頭部を左右に揺らしながら赤鬼と変容したWが近づいてくる。
「このやらふふふうううううううう」
「うがぜやぢさがでるるるるるる」

と聴き取り不可能な唸りが、かれの荒々しい吐息と綯い交ぜになって教室に響きわたる。
直後に
ドガッ」
「ベゴッ」
「ブガッ」

という、ビンタというよりは異種格闘技で用いられる「掌底打ち」が遂行される。
わすれもしない中学校三年時の学芸発表会では、生徒一同が、たしか音楽教師が書いた脚本だったはずだが、ともかく糞くだらないお遊戯芝居を披露することになっていて、オレと、のちに自衛隊員となるTは演出係であり、さっそく午後の授業の代わりに芝居の予行演習があてられることとなった。

その初日であったかと思う。体育館の天井照明が落とされてしばらくしてから、とつぜん左顔面に激痛がはしるのを感じたのだ。「ぶあがふああああ」。ふりかえるとそこにWの鬼相があった。オレは奴から掌底打ちを食らったことを覚った。ただ運よく、オレは打たれる瞬間たまたま右側に注意を向けたところだったので、かれの肉厚な掌が掠った態となったのだが、そのことで憤りが倍化したかれは、「どるううららあああ」とう唸りながらTの鼻梁に一層の力を込めた掌底を打ちすえたのである。
「ぶげげええ」とTは呻き、椅子からずり落ちて蹲まった。荒々しい息遣いのWからは「まちめにやれやあごのやろうううう」という言葉らしきものが漏れでるのが聞こえた。Tの鼻と口から迸った鮮血がT自身のYシャツを真っ赤に染め上げた。

オレ様は「あ、Wは大きな勘違いをしているな」と事態を一瞬で把握した。幕があいたというのに雑用係のKが舞台のうえから同じく雑用係のUとお喋りしていたので、おれとTが「おい、さっさとひっこめよ!」と叫んだのを、Wは、おれたち演出係が役者に向かって野次を飛ばしたものだと単純に思い込んだのである。

Wによって保健室に連れて行かれたTは「おい、ひっこめよ!」の理由を説明したそうだ。そのときWは「なんだよ〜そうだったのか〜」と、かれの陽のキャラクターに戻った物腰でちょっと申し訳なさそうな様子であったらしいが、オレ様に対しては何もいってこなかった(「お、悪かったな」くらいはあったかもしれぬが…)。以来おれ様は、それまでなんとなく一目置いていたWが単なる性格異常者にしか映らなくなり、現在でも「つまんねーおっさんだったんだなー」と、まあ、その程度の人間としか見做さない次第であるのだが、体罰というのがどのみち大したことのない<おじさん/おばさん>連中によって行使されていることに気づくことへの、まあ、よいきっかけを与えてくれた人間だったのだなーとは思っている。感謝する気持なんぞ寸毫も抱かないけども……。

ちなみに後年Tと思い出話を交わすなかで、この珍妙・悲惨な出来事にふれた際、Tは、自衛隊でもあんな理不尽な体罰はなかったよウケケケ」と笑うばかりなので、Wのおっさんをいつまでたっても許さないでいるオレ様は、Tの優しい心根にただただ感心し、「それに較べてオレって『秋刀魚の味』の中村伸郎かよ」と、ひとり心の中で突っ込みを入れるのでありもうした。。。