12歳のとある日、なにを思ったのか亡父が『ぼくは12歳―岡真史詩集』を買い与えてくれた。学校の課題に提出したおれのポエムがあまりにも酷い代物なので、「これを読んでちったー賢くなれや」という親心だったのだろうか……。

岡真史を読んですぐに感じたのは、到底真似できない文章力だけど本当に作者自身の言葉で書いたものだろうか? ということだった。それに何よりも全然おれの趣味に合わない……と。

ところが(読む途中で)かれが自死を選んだことを知って、おれと同年齢の人間が自分自身を殺し永遠の12歳にとどまっているという事実にちょっと一目置かざるを得ない気がしてしまうのだった。それは死に追い詰められるほど切迫した人間ならば、ふつうであれば何か/誰かに対する呪詛の言葉をノート一杯に殴り書きするのがせいぜいだろうに、かれの場合、死への思い・逡巡を詩として書きのこす「知性」があったということへの、ある種敬意にも似た気持だったのだと思う。

藤村操に対して当時の学生たちの間にもそれと同じような感情があったのだろうかと、いまふと思った。