同じことを繰返し記すのもなんだが、やはり、俺にとっては NY 9.11 よりも、オクラホマ連邦政府ビル爆破事件の方が重く感じられる。

オウム真理教テロについては、あの日もし霞ヶ関の役所で資料をもらってから出社する予定であったのならサリン散布テロの被害に遭っていた可能性は充分高かったし、一般的にいって連中がやらかしことのヤバさは重々認識してはいるが、俺には連続企業爆破事件や近所の内ゲバ殺人事件などで巷が大騒ぎしていた子供時代の経験・記憶があるせいか、「サリンだのVXガスだのどえらいもの作りおったなー」と感じながらも、正直あの騒動を東アジア反日武装戦線日本赤軍革マルやらのその延長線上の出来事として受けとめているので、たとえば年長世代の評論家などが「オウムの連中って僕らの弟のような気持がする」などと、ともすれば共感を含意してしまいそうな複雑なあやを吐露する心情とはかなり径庭を隔てている。

むしろあの頃の出来事としていまだに思い返えすことがあるのは、サカキバラ生徒による神戸連続児童殺傷事件である。
あとになって巫哲女・池田晶子さんが、このような出来事は近代以前からしばしば発生しているみたいですのよ(あまり時代の様相にかこつけて語りなさんな)、みたいなことを書いていたのを記憶しているが、俺は、被害者の口にくわえさせられていた文書のなかに「鬼薔薇」なる名告りがあるとの報道を耳にして――その嗜虐的な言語感覚から――見た目からしていかにもな鬼畜変態中年男性の姿を直感したのではあったが、一瞬たりとも14歳の少年を想像することはなかった。