鐵舟会

先週のひと日、白目高さんと第一回鐵舟会をようやくのこと決行いたしました。

宮城(旧江戸城)から三島・龍沢寺まで三年間、おそらく月一回ほどの割合で徒歩にて参禪されたと伝えられる鐵舟先生の御健脚に敬意を表するため、うちから谷中全生庵まで片道歩いていこうぜという企てであります。

出発は午前十時、到着予定はまあ十五時あたりじゃあないかという見当で、道中由無し事をくちゃべりながら、

近所の十字路〜目黒通り〜桜田通り〜三田〜芝〜新橋〜日比谷公園〜和田倉門〜鎌倉橋〜須田町〜万世橋昌平橋本郷通り〜言問い通り〜谷中6〜全生庵
という旅路でありました。十五時半あたりに到着いたしました。途中昼飯はカフェドクリエでとりました。

この日撮影したたった一枚の写真は、門脇にある三遊亭圓朝碑であります。とてもよい御天気で陽光がうっすら橙色を帯びたなか、鐵舟先生のお墓に合掌し、圓朝師匠のお墓に合掌しました。直後雨蛙が「ケロッ」とひと鳴きするので、白目高さんは「うあっ、あまがえるだ」と呟きました。数年前白目高さんの実家の庭には、いつのまにやらあまがえるが住み着くようになり(紫陽花の葉のうらに居たのだそうです)、その鳴声があまりにけたたましく近所迷惑に思えたことから、そのままケロロらを捕らえ、N公園まで放ちに三往復?もしたのだそうです。そのような事情を知っていた私は、おそらく泉下の鐵舟先生が弟子・圓朝師匠に命じ雨蛙経由で挨拶されたのではないかと空想し、白目高さんの戯号・高眠が鐵舟先生の御名前・高歩と符号的であることからも、今後、雨蛙亭高眠(うあてい・こうみん)を雅号とすべきことを宣託申し上げました。高眠先生は迂生の世迷言になかばあきれつつも頷いてくれた、という次第で御座居ます。
※高眠の高ははしごだかが正しい


おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝