焼き鳥、原稿料、パンパン

亡父は廿歳のころ小さな出版社に勤めていて、原稿料(原稿用紙1枚程度の時評のギャラ)を届けに坂口安吾宅を訪れたことがあったらしい。
安吾はそれを懐に納めて「ちょっと一杯やろうか」と近所の焼き鳥屋(おそらく蒲田)に連れて行ってくれたのだそうだ。
安吾は何を語っていたのか? と訊いたら、「君な、パンパンの逞しさから目を逸らすなよ。彼女たちの強さをよく見るんだよ」のようなことをしきりに説いていたのだと云う。
亡父は活動的な人間だったので、終戦後は復興への希望にあふれていたくちじゃないかと思っていたのだが、そのことを耳にしてから、どこか虚無へのまなざしのうかがえる青年のひとりだったのかもしれない、と思うようになった。
そのうちゆっくり戦中戦後の日本について話を聞かせてもらおうと考えているうちに父は急死してしまった。祖母もそうだった。叔母は存命だが認知症なのでまともな会話は無理な状態になってしまった。
盆暗人間に生まれると、大切なことの機会というものをあっさり見逃してしまう。まことに残念なことだ。