万人の心に住む友人――エリファズ、ビルダド、ツォファル
少しくらいの不幸であれば、同情心が沸いてくるかもしれない。けれども、非常に恐ろしい不幸、自分には絶対怒って(ママ)欲しくない不幸に見舞われた人を前にすると、人間は不安に駆られてしまう。「こんな不幸がだれにも訪れる可能性があるのだよ」と、その人が訴えているように感じられるからである。
すると、自己保存欲求が脅かされる。あのような災難は自分にきてほしくない。
ならば、どうすればいいか?
その人と自分は違うのだという「差別化」をすればいいだろう。つまり「自分はあのような災難を受ける人間ではない」ことを証明すればいいのだ。そこで、不幸に見舞われた人々を「悪い人間」だと決めつける傾向が、なかば無意識的に働くようになる。要するに「自業自得」だと考えたいわけだ。
「あんな不幸にあったのは、何か悪いことをしたんだ。当然の報いなんだ。自分とは違うんだ」
そう思い込むことで、自分を安心させようとするのである。こうして私たちは、もっとも思いやりが必要な人に対して、もっとも冷たい拒絶や、罪を責めたてる非難の気持ちを向けてしまうことが、しばしばある。