帰途バスのなかで感じたのは、これからの日本はますます「人間の弱さ」から目を逸らすことが出来なくなるだろうということだ。

昭和50年代での日本のムードは「不景気もあるけど、全体的にはどんどんよくなる」であったと少なくともおれの主観は告げるし、これに異を唱える方は少数であろう。
義務教育では所謂日教組的な教えを受けていたのは事実だし、定年を前に辞職し区議になった赤旗先生もいたほどで――その先生からは多数決の大切さを説かれたが――とにかく協調性が遵守されていたのは間違いない。教師たちが塾に通う生徒らを面白く思っていないことも伝わってきた。
そんな教育風土にあってもおれ(と友達)が漠然と感じていたのは、「時代とともに日本は旧弊を脱して自由になり個人が強くなる」であった。そのためには国を支える科学技術や合理的な思考を学ぶことが絶対必要だと万年平均点レベルの盆暗なおれですら自明視していたし、そのことについて拙い言葉ではあったに違いないが友達と確認し合ったこともあった。これについては記憶の改竄とは思えないが、悲しいのは、実際科学技術の世界にすすんだのはそのなかでたった1人だけということだろうか。彼は工学部を出て電話機や通信機器をつくる会社の技術者になった。

いま仮に当時12歳のおれと出会うとするならば何をどう話すべきだろうか。「人間という存在はね、どうしたって弱いものなんじゃよ。真樹日佐夫も安岡力也も病気には勝てなんだ……」などと賢しらぶっても、生意気盛りのおれ様には一切通用しないだろう。