母から伯母たちの苦労話を聞かされる。
長姉は、親の借金を返すため紡績工場に奉公に出されたのだが、山梨から中部地方のとある町まで徒歩で赴いたらしい。途中、農家の馬小屋で一泊したんだそうだ。
その下の姉は中学校を中退させられ、紡績工場やら旅館やら様々な職場に奉公に出されたので小卒だ。せめて中学校は出たかったといまでも歎くことがある。
そうした境遇は、つげ義春(or 忠男)が描く貧しかった時代の無産階級の人々にとってはそれほど特別なことではなかったのだろう。
バブル経済期のころ「こんな時代がいつまでも続くと思うなよ。一寸先は闇なんだから」と言ってたのは小卒の伯母だったな。