自分で記しておいて「テクノポップがずっと続くなんて考えられない」と「テクニクスの縦型ターンテーブル」との関連を今ごろになって気づいた。
昭和54年・55年は、YMOの人気が(おそらく)FUJIカセットのCMがきっかけとなって日ごろ歌謡曲オンリーのリスナーにまでも広がり、それにつられてテクノ自体への民衆の関心も高まった時代であった。
殆どのクラスメイトと同じく俄かテクノファンとなっていたわたしは、とある晩のFM東京「音楽ってなんだ」(テクニクス提供):「(日本の)テクノポップ特集」を聴いていた。番組では、街を闊歩している若者らに取材した「(日本の)テクノポップブーム」に対する反応の紹介があって、そのなかになかでも、「こういう音楽がずっと流行るとは思えない。だってプラスチックスが『今日は僕らの結成10周年です』だなんて記念コンサート開く姿なんて想像できないでしょう」と、音響関係の専門女学生?が痛烈に語っていたのを覚えている。その一言は、番組をしめくくるエンディングとしても――ディレイをかけて――再引用されていた。
日本のポップス界では、サザンオールスターズやニューミュージックのようなジャンルが人気を保っていたので、音効用にこそ相応しく思われる電子楽器を全面に打ち出した楽曲に対しては、「ニセ音楽」「子供だまし」のような印象を抱くひとがまだまだ多かったのだろうなと思う。
この放送を聴いて当時中学生であった自分がもっとも印象深く感じた事は、司会・惣領泰則氏/ゲスト・都倉俊一氏のどちらかが、僕もテクノポップ風に一曲つくっちゃいましたみたいな新作を披露したことで、それが、古典SF的なロボットによる愛の定義の列挙といった体の(申し訳ないけど)「ちょっとズレちゃってる感」 or 「とっくに先達がいるでしょ感」が濃厚に漂う作品であったことだ。