ぶつぶつぶつ
- (グーグル的グーゼン...)昨夜迂生はたまたま“psychic engineering”という怪しいコトバを目にして「なんじゃろ?」と思いながらスルーしていた。
- まさかアノ薮下監督が町山智浩さんの元御同僚だったとは...。オレはイカ天は観てなかったけどエビ天は時々観ていた。藪下監督のこれは絶賛されていた記憶がある。でもオレは別の作品がいいと思っていた。[筋] 変な男(藪下監督自身?)が駅のプラットホームギリギリに立っている(つま先がはみ出ている)/彼はもうすぐ電車がやって来るのに涼しい顔をしている/それを、一人のサラリーマンが離れたところで心配そうに見つめている/SEは謡曲/謡曲にあわせて男のつま先が上下/恐怖の表情に変わっていくサラリーマン/(……)/てな感じのオフビート感覚ぽい作品だった記憶があるが、脳内で改変されている可能性はある。そもそも別の監督だったかもしれないし。
- おいらはなぜイカ天を観ていなかったかんだろう? 業界の年長者に審査してもらう形式
がをとてつもなく格好悪いものに感じていたのかもしれない。 - そうなんですよね、既にあの時代、マイナーな世界(内外ともに)を覗けば凄いアーティストが犇いていたのだ。
- スターリンは本当に人気があったよなあ。当時、(いまでもライブハウスで演奏しているらしい!)B組のA君と話していて、タムが抜けたことについて「まあ別にどうでもいいけどね」とコメントしたら即座に「どうでもよかあないよ」と窘められたことを思い出す。ゴメン、そうだよね、確かにタムの音は素晴らしいんだよ!
- でもA君に町蔵を教えてあげたのはオレだったはずだ。彼はVENOMに関しては無言だった。
- 当時はどの音楽を支持しているかがいまより濃厚にその人間のアイデンティティ/プロフィールに反映していた気がする。古本屋に売っちゃったのでうろ覚えだけど澤野雅樹『ロックする哲学』では「政治」の
二語二文字が結び付けられていた記憶がある(要確認)。 - でもオレは支持ジャンルでその人間を分類する慣わしをまことに不自由だと感じていた。友人の部屋でモーター・ヘッドを聴いて、家では部屋の明かりを消して、Joy Division Unknown Pleasures みたいなのを聴いてしまう人間だったので、ファッション(服装)はなんでもない服のままでいたし(Gジャンは着ることが多かったがそんなもん普通の洋服だ)長髪にもしなかった。まったく不自由なことだ。ある日はHCP、ある日はHM/HR、ある日はニューウェイヴファッションで青春を謳歌してもよかったじゃないか! でもオレは、没個性ってカッコいいんじゃないかと妄想していた。早川義夫「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」の、そのコトバ自体から影響を受けていたのかもしれない。単純脳やなあー。
- 青春とは最早死語なのか “Nevermore”
- WEBを散策していると、ついさきほどまで考えていたこと、気になっていたこと、反芻していた言葉、思い出したアイデアなどがひとさまとかぶっているのを発見して楽しい。たいがいは自分が好感を抱いている人々のブログやtwitter上の記事/発言なので、考えることの傾向(その深さではありません)が近いのは当然といえば当然だけれど、別に好感など抱いておらず、なんとなく尊大で断定的なものいいをする著名人なんかの言葉ともかぶっていることを目にするのも楽しい。まあそれだって同じ国で同じ時代を生きる者同士なのだから不思議なことではないのだろうが。
- ちなみに、若干警戒心を抱きながら惰性で拝読している著名人の方のブログやtwitterであっても、かぶる頻度が高いひとには自然と好感を抱くようになることもある。真性単純脳だ。