おそらくおれは普通のひとよりずっと頻繁に夢を見る人間だと自覚している。
死んだ人間もしょっちゅう登場してくる。そして多くの場合が、おれが想起したイメージにうっすらと臨場感がただよっている“だけ”のものであることがわかる。

ところが年に二三回、それよりもずっとリアルに殆ど覚醒時と変わらない感じで対面することがある。

四年前に交通事故で死んだ高校時代の友人もそうだ。

普通の夢と相違するのは、既に彼が死んでいることを意識しながら眼と眼を合わせてごくごく日常的な会話を交わすこと。そして「声」が、耳を通して響く(かのように聞こえる)点にある。

「おうおう!ひさしぶりぃ」
「おおお!忙しい?」
「ああ…。Baskov、元気そうだな」

などと言って別れる(忙しいのは友人のほう)。

目が覚めたときは現実に彼と会ったかのような生々しい感覚がのこっている。

父や祖母(父方、母方)の場合も同様。

なので、あの南方熊楠が、亡くなった御両親と会話していたというのは読者へのサービスではなく、おそらく真実の回想譚だったのだとおれは思う。熊楠はとてつもない脳みその持ち主だったので覚醒状態に於いても生々しい感覚のまま死者と対面(=極めて濃度の高い想起)することができたのだろう。

「もしかするとそれって君の脳髄がスキゾ一歩手前な状態に陥っているのではないのか?」と心配されれば、そうかもしれないのかな……とも思う。でもそれが実際のところ何なのかはどうでもいい。

最近は、次はいつ皆に会えるのだろうかと期待しながら就寝するようになった。

そうそう、なぜか春分の日前後に視ることが多いんだよ……。