tsubuyaki

■沖縄出身の青年と「地元」について話した。俺が「他府県のひとが東京者を冷たいという気持ちは分かるよ」と云ったことで、彼は俄かに饒舌となったのだった。

■沖縄にはまだいったことないからぜひ長期間滞在してみたいなーと漠然としたことを話すと、青年はちょっと意地悪な表情になって「でもずーっと住んでみたいとは思わないでしょ?」と返してきた。

■俺は生まれも育ちも東京(の井の中の蛙)だから、この土地のいいところも悪いところもひっくるめて故郷だと感じているので、すすんで生活の拠点を変えてみたいとは思わないけど、もし君の郷里に引っ越したところで、土地の方たちは俺をコミュニティの一員としては本気では迎え入れてはくれないんじゃない? それは不可能じゃなくとも長い時間がかかるんじゃないの? と訊くと彼は「それはそうでしょうねぇ......というよりも、多分時間の感覚が合わないと思います」と正直に答えてくれた。

■彼は、俺が東京を「故郷」という言葉で表したことに何か納得するところがあるようだった。「よそから来たひとってどんな感じに見てます?」というので、東京生まれ・育ちで他府県の人間を排除の対象として見る奴って、俺の感触では三割もいないんじゃないかなと(とても控えめな数字?で)答えると、「そうですよねぇ。東京に来るとき皆から東京の人間には注意しろよ!って散々釘さされたんですけどね」と云って笑っていた。なんか久しぶりにとても好感のもてる青年に出会った感じがした。

■そんな彼でも沖縄の言葉について質問するとあまり乗る気でない様子だったが、その気持ちは分かる気がする。あくまでも主観だけど、東京モンのみならず概して日本人は聞き慣れない言葉に対してとても失礼な反応を示すことが多いから。本人は失礼なつもりはないんだろうけども。

■ここで自己弁護するわけじゃないけど、所詮俺は半二代目の東京モノなわけで、幼少の頃の夏期には母親の実家に避暑してをり、帰省したときには得意げに母のお郷言葉で喋っていた。そのせいか、いろんな地方の言葉を耳にするのが大好きなのだ(当然外国語も)。なのに妙に誤解されることがあって、学生時代東北出身の友人の前で東北弁の真似をしたら本気で怒られてしまったし、彼の地元に行ったとき、年配のひとがとても魅力的な気仙言葉を喋るので、「ほんとうにいい感じだね!」と感想を述べると、以前俺が東北弁の真似をしたことを思い出したのか、俺が小馬鹿にしているとでも言いたげな怒った顔をするのであった。でも、おそらくそれは、俺に咎があるに違いない。

■上のことは、喜劇ではなく悲劇なんだと思う。ずい分前だけど、野球の落合選手(秋田県出身)が当時秋田弁を売り物にしていた女性芸能人?に「標準語をしゃべれ!」と笑顔で怒っていたのを見て、非常に複雑な気持ちになったものだ(俺の祖母のひとりは秋田県出身だし)。

■最近さらに複雑な気持ちになったのは、近畿出身のお笑い芸人が、東北弁をしゃべる出演者に向かって(上方言葉で)「標準語にならへんの?」と、一場の“お笑い”にしていたことだ。

■そんな状況下でも、お郷言葉を平気で披露する芸能人(たとへば、松山ケンイチ?)がちらほら出現しているみたいなのでとても好ましく思っている。あと映画の『壬生義士伝』の南部言葉や『たそがれ清兵衛』の庄内言葉も聴いていて心地よくなる(かなり標準語化してるんだろけども)。

などと、つらつらと思い記しているうちに脳裏に浮かんだ以下には、朗読CDが付いているみたいだ。講話の視聴ができた。おもさげながんすぅう。

ケセン語の世界

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