ジュンク堂にて


西川徹郎句集『月山山系』(書肆茜屋)から

鯉のからだのなかの奥飛騨を訪ねる


十年ほど前、飛騨高山へ出張したことがあった。事情によって自動車が使えず、えっちらおっちら貸し自転車をこいで市街を抜け、あの急な山道を登ったときは本当に疲弊した。「あれ? お車はどこに停められたんですか」と聞かれ、「これが車です」とばかりにチャリを指差すと、「えー? そりゃあ大変だ、あっはははは」と笑われ、はからずも相手との心の距離感を縮める効果があったことを思い出す。

日本列島のほぼ真ん中辺に位置する飛騨高山。仕事を終えて森林脇のベンチに腰掛けた瞬間、この地が何か巨大な存在にすっぽりと包摂されているかのような一種独特な時空感覚にあったことを掲句は想起させてくれた。句題の奥飛騨は通過したのみだったが、もし逗留しておればその思いを一層強くしたに違いない。

幾度も諳んじているうちに「巨大な魚の体内にある神の里。その巨魚は神の里を抱えているがゆえに(何者かによって)鯉と命名された」と、そんな捏造の伝承が浮かんできた。

※ざっと検索してみましたところ、こちらに【鯉】の由来について紹介がありました。    
こちらには、『月山山系』の詳細な紹介があります。