高橋睦郎『倣古抄』(邑心文庫)

多摩川を、田園都市線二子玉川駅プラットフォームより見下ろすと河川敷の大規模整備中であった。

友達とつれだって、春には鯉や鮒を釣り上げて喜んだり、夏には川エビを獲ったり、晩秋には落ハゼを狙って坊主だったりした頃の多摩川とは(もうずっと以前から)川の形状等は違ってしまっていたけれども、幼少のころに馴染んだ風景が大幅に変えられてしまうことへは、どうしても心にひっかかりを感じざるを得ない。

こういう気持ちを抱くことができるのは自分の子供時代が幸せであったこと、少なくとも不幸なことが殆どなかったことの証左なのかもしれない。

引用させていただきます。

『倣古抄』(p107)より狂言小謡「多摩川

多摩川にさらす手づくり
手づくりのきぬがながれての
白栲のきぬがながれていとうほしやの
雪のふる日もいとはずに
雪のふる日もいとはずに
足はあかゞり手はひゞきれて
まかないし子がさらいたるものをたうたう
多摩の瀬は鳴るともたうたう
多摩の瀬はひゞくともたうたう

多摩川は租庸調のあった古い時代は反物を洗う川でもあったのだ。

あるいは『太平記』にあるとおり、謀に敗れた新田義興の従者(由良兵庫助)の首が中州に流れ着いた現場であり、そこは霊祀りによって「兵庫島」と称されることとなり、その六百年もの後にはちんちくりんな人造池「ひょうたん池」なるものが整備され、洟垂れ餓鬼が雑魚などを追いかけてヨロコブ場所となった(駅から西をながめればすぐそこに見えるのがそれです)。

倣古抄

倣古抄