トンデモ批判 ― 約2千年も昔の

王充、『論衡』、東洋文庫平凡社

図書館の棚を眺めながら漫ろ興味を惹かれる本を手に取る時間は楽しい。

ときには思わぬ偶然(シンクロ)に出逢うこともあり、そこに超自然の働きともいうべき何かを感じてしまうことがままある。

この度は、永田耕衣の十八番ともいうべき「陸沈」という言葉を思い浮かべながら、何気なく手にした分厚い一冊を開いてみたところ、まさに開いた頁に「陸沈」が語られているので驚いた。

「これは何か重要な暗示なのではないか......」改めて書名を確認すると『論衡(中)』とある。早速これを卒読せむと思いしが、1千8百ページを超える大著(三巻本)である。どうしようかと躊躇しつつ傍らに目をやると、かの東洋文庫に抄本がある。とりあえず借りて読んでみた。

『論衡』という題から『論語』の注釈本ではないかと察したが、この古典は西暦にして0027年生まれの中国の文人である王充による、いまどきの言葉で云えば「トンデモ批判」を基調とした警策の書であり、皮肉なことに、「そこに超自然の働きともいうべき何かを感じてしまうことがままある。」の如き、迂闊で妖しげな言辞こそが俎上とされるべき書物であった。

東洋文庫では一番最後に組まれているが、冒頭に置いたほうが親切であったろう「対作篇」に『論衡』の動機が記されている。

218

世俗の性として、奇怪なことばを好み、虚妄の文を喜ぶものだ。どうしてか。ありのままのことでは、人の意中を快くするわけに行かず、見せかけだけの事が耳を驚かせ心を動かすからだ。それゆえ才能ある人物で弁舌を得意とするものは、実際のことに尾ひれをつけて派手な文句をならべるし、文筆を得手とするものは、空文をでっちあげて虚妄の文を伝えるのだ。また、その話を聞くものは、本当だと信じ、ありがたがって捨てないし、その文を読むものは、実際のことだと思いこみ、いい伝えて滅びぬようにする。(...)

事の是非をはっきり見分け、心がそれを悲しむのを患うからには、どうして論じないでおれようか。孟子は、楊子や墨子のいうことが儒家の論をたくさん盗んでいることを憂え、正しい説明を持ち出して、是をほめ非を押さえた。それを世人は弁舌を好むものとしたが、孟子は、「わたしは弁舌などを好みはせぬ。わたしは止むを得ないのだ」といった。いまわたしは止むを得ないのだ。(...)


それで内容なのだが、目次を見れば一目瞭然となっている。

<目次>

自紀篇 ― 作者の自伝
逢遇篇 ― 君主との「めぐりあい」について
累害篇 ― 中傷について
物勢篇 ― 「物」の本質について
異虚篇 ― 異変や災害にたいする説明の嘘をただすこと
雷虚篇 ― 雷にたいする説明の嘘をただすこと
芸増篇 ― 儒教の経典にみられる誇張について
問孔篇 ― 孔子の論理的な誤りをただすこと
超奇篇 ― もっともすぐれた文章とはなにか
商虫篇 ― 害虫論の誤りをただすこと
自然篇 ― 自然には意志があるのか
論死篇 ― 霊魂の行方について
実知篇 ― 超経験知と経験知について
対作篇 ― この著作について


上記のうち、特に王充の唯物論的自然観が開陳されたのが、「物勢篇 ― 「物」の本質について」「自然篇 ― 自然には意志があるのか」である。この両篇では「気」及び「無為自然」の理説に依拠しつつ、“擬人化された自然”を否定した決定論的世界観がうかがわれる。

王充の基本的な論証スタイルは、俗信や迷信を認めた場合かくかくしかじかの点と矛盾するという極めてシンプルな間接論証である。さらにその論駁につづいて自身が提示する理論は(老荘の)「気」の理説となっている。

なので、現代的な意味での科学精神の持ち主というよりも「健全な懐疑主義者」「唯物論的世界観」「論証主義者」という言葉が形容詞としてぴったりな気がする。

但し、王充が提示する「気」の理説に拠れば、森羅万象の原因は特定の諸基体の運動へと還元されるものであるので、所謂「要素還元主義的自然観」として現在の自然科学と対応させることは妥当かもしれない(古代ギリシャアナクシメネスなどと同様に)。

さて、なかんずく「トンデモ批判」としての色濃いのは「異虚篇」「雷虚篇」「実知篇」「論死篇」である。
「異虚篇」「実知篇」は、吉凶の前兆(俗的な意味での縁起)や未来予知が成立してしまうカラクリ(アドホックな心理傾向、後世の改竄など)が解説され、「雷虚篇」では落雷による殺生が天誅であると見なすことの間違い、「論死篇」では、死後の霊魂の存在を信ずることの間違いを、それぞれ批判していく。

例えば以下のように(あくまでも私の要約です)

  • ある事象を凶事の前触れとみることがある。それを(臣下から)知らされて改めて奮闘度努力した結果、政治的成功を治めた場合は「凶兆を知ることによって成功した」と伝えられる。しかしながら、それでは凶兆はそもそも凶兆ではなかったことになるではないか。結局のところ凶事は生じなかったのだから。しかし、当人が死したのち子孫の代に凶事が生じた場合どうだろうか。善政を施した祖先の御世に顕われた凶兆はこれを暗示していたのだというように、自在に解釈することができるのだ
  • [追記]上を読み直してみると可なり雑駁に感じるので補いますと、王充はこの篇の終りに、晉の文公に夢の解釈を依頼された重臣の咎犯が、文公の夢の内容が世俗的には凶兆(敗戦の兆し)であるにもかかわらず、まったく逆の解釈(=吉兆)を提出する知恵があったため、文公は本来の力を継続して戦争に勝利できたという故事をひいています。つまり、凶兆も吉兆も方便として機能させられる相対的なものであることを説いています。
  • 落雷による事故死が天誅だとするのなら、なぜ夏にしか天誅を行わないのだ。世の不正に季節はないというのに
  • さらに、なぜ無辜の民を巻き添えにして天誅となし得るのか。天どころかこの地においても正当性がないというのに
  • 何も学んでいないのに、何も知識がないのに、向後の時勢への構えを正しく言い当てる能力をもつ天才がいるという。しかし、幼い頃、人物の傍らにいるだけでも多くのことを吸収するものだし、とくに大切な教えは頭の中に残るものなのだ。また、過去の文物が予言を為していたと見なすのは、ほとんどが改竄である。韓非子にもあるではないか、「文書が簡約だと弟子はいろいろなことをいう」(「八説篇」)と
  • 肉体の頑健さと力強さは結ばれている。なのに何故、死して肉体が滅び去った途端に鬼として人に害をなすほどの力を得るのであろうか。瀕死の病床ではほとんど力が残っていなかったというのに

この辺りはほとんど屁理屈に近い印象すら受けるかも知れないが、論証としては極めて真っ当だと思う。

さらに、182頁

(...)いま生きているひとの数を数えれば、死んだひとの多きには及ばない。もしも。ひとが死ぬと鬼になるものとすれば、道路の上は一歩に一鬼となろう。ひとはいま死ぬというときに鬼が見えるわけだが、数百千万の鬼が堂に満ち庭に満ち、町筋いっぱいになっているのが見えるというのならばよろしいが、ただ一人二人だけ見えるというのはよろしくない。

この引用部からは、某・老物理学者がスピリチュアリズムを批判していたことを思い出し、笑ってしまった。

怪力乱神語りのスターが現れ、それを糺すべく「止むを得ない」人士が立ち上がる......平成の御世も、およそ2千年前の中国と何ら変らぬ風景というべきなのか。

*ところで、ブラウザがFirefoxの場合、「wiki」でググると検索結果のサイトリンク欄に「ノストラダムス」と出るのは何故なのでしょうか?



論衡―漢代の異端思想 (東洋文庫 (46))

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新釈漢文大系〈68〉論衡 (1976年)

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論衡 中 新釈漢文大系 (69)

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