滂沱滂沱
12日に日付が変ったばかりの深夜、youtubeで土方巽を観ているうちに、なにゆえか「見上げてごらん夜の星を」を猛烈に聴きたくなった。
そうしたらいつのまにか目頭が熱くなってくるし、モニターが霞んでくるじゃないのよ。
自分でも何でこんなに悲しいのかわけが判らない。
こりゃいったいどうしたものか、携帯小説や蘇りもののドラマ・映画で涙にむせぶ昨今の青少年の如きS-R反応が身についちゃったわけ?
理由もないのに悲しくなるなんてこたぁ滅多なことじゃありえない。「これはもしや...」と思いすぐさまググって見ると今日は日航ジャンボ機墜落事故があった日ではないか。
最近とみにこうした「偶然」というか「符合」が生起するのだけれど、別段これは超科学的なナンヤラではなく、無意識裡に何らかのトリガーを引いたまでのことで、そこから生起される連想の内容は齢とともに変化しているのだろう。
おそらく今回は、土方巽→土着→お盆→昭和60年の夏期講習→御巣鷹山の悲劇という流れだったに違いない(マジに)。
本当に極私的なことだけれど「昭和60年の夏期講習」というのは、代ゼミでの芦川講師「英語長文読解ゼミ―『TIME』誌の日本特集を読む」のクラスで、13日の午後だったか、教室に入ってくるなり「みんな知ってる?女の子がひとり助かったんだよ!」と云う先生の言葉に受験生200名が「おおおお!」と声をあげたシーンであり、約四半世紀の間しっかりと脳内に錨を降し続けている記憶なのである。
ところで作曲はいずみたくさんだ。
未生の頃にヒットしたはずの「見上げてごらん夜の星を」のメロディラインが喚起する旧懐の情は決してあとづけの感情ではなく、幼少の頃のアニメ『明日の太陽』のエンディングに流れた「心の唄」にもしっかりとその「いずみ節」が反復されていたからこそだろう、と思うた。
したっけこれもありました。
藤山ジュンコ版
堀江版
ぐわあ、意識が混濁してきそうな勢いのノスタルジーだわ。