『黒い星』

じつにあっさりと、大原テルカズ『黒い星』を借りることができた。
テルカズは大野我羊に師事し、大東亜戦争末期に『芝火』同人となったそうだ。また、八幡城太郎の教導を受けたことも記されていた。

小林恭二が『実用 青春俳句講座』のなかでチラっと述べていた、テルカズ句から醸し出される幸薄さは、日本の敗戦と戦後の個人事業の失敗という二重の敗北のアマルガムから立ち上っているらしいことが分かった。

といっても、第一章「星の出」にある学徒動員期の作品には“一人夫渺たれば女工たち嘲笑う”の詞書きとともに

火爈いずる鐵を女身と傴僂よ見よ

という、傴僂(せむし)人夫から勝手に呪詛を引き受けての妄想的な一句をみつけることができ、旧制中学生時代からすでに暗星系俳人(私の造語)の資質を備えていたことが分かる。

「後記」を読むと、まさに彼自身によるテルカズ像が描かれている。一部を引用させていただきます。

(...)「黒い星」は、幼さ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、濁り、独善、恣意等々の非精神的状況に乱れ、俗塵とは浅墓とは何か、自己のそれのみを証したてている。この身から出た錆をかき集め乍ら、またしても事ここに敗れた私を認知しないわけにはいかない。葦ならば、おのがさがのつたなさに、その枯葉もて、いさぎよく、いつ消え、いつ別れてもいいように、さよならと水の面に書き記し了えていたであろう。この嗟嘆に昏れる「黒い星」は、俳句の毒汁を滲ませつつも小市民的隘路の墓標として、反主流域にいちはやく風化する運命にある。時あたかも黙殺の季節、私はここで自らの一端に手をかける怖れと微かな喜びとを禁じえない。以後私自身に望むことは、もはや多くない。それは不毛であろうとも、マイナス点から零の優位を設定し、渇望する、一粒の、意志ある種子を、内部に形作り、自己の掌に握りしめ実感することである。(後略)