海底走競技
<夢>
大きな邸宅の地下に体育館があり、そこは観客席が設けられていることからも分かるように、なかなかしっかりとした造りであることが分かる。何かイベントの最中であり、近隣の高所得者層家庭のお母さんと子どもたちが集まっている気配がある。
(場面一転)
夜。
張り出した高速道路の下に小さな海岸があり、それはずっと千葉の方まで続いているようだ。
闇の砂浜に立つ自分。
海からあがって来たらしい、いくつかの体育学部のグループが松明、あるいは懐中電灯を持って、三々五々後背の階段を上っていくのが認められる。
「寒中水泳なのだろうか」と思うのも束の間、海から声が聞こえる。海上かと思いきや、海の中からである。
「もうすこしだ! あと一歩なんだぞ!!」と叫ぶ声なのである。「お〜い頑張れ、あと一歩で陸(おか)に上がれるんだぞ!」と必死に叫んでいる。
ああ分かった、これは、決してマスコミなどでは知らされない、学生時代に噂で聞いていた「海底走競技」なのだ。
政府によって、本当に限られた一部の体育学部のエリートが選ばれ、神事の如くひっそりと行われている競技なのである(卒業後彼らは日本の中枢で働くことになる)。
海底を走るなんてとてつもないことだ。
テレビ番組でのことだが、海中から陸に飛び上がるペンギンの姿を観たことがあり、その生命の躍動に驚かされた記憶があるけれども、海のなかにいる人間が砂浜のここまで声を届かせることができるなんて、それは肉体の鍛錬だの精神力だのという生易しいものではなく、科学を軽く超越した呪力のようなもでしかあり得ないではないか!
そんなことが頭のなかを掠めているうちに、彼らの(海中からの)声が衰弱していくのがわかる。
「これは大変だ、彼らを助けなければならない」と駆け寄ろうとするが、海面が夜の闇より濃い漆黒であるのをみて、一見遠浅に見えるこの海岸線が人工海浜であり、汀の一メートル先がざっくりとえぐれて、身の丈の数倍の深みへと続く造成であることを憶い出し、一気に身が竦む。
と、その瞬間、ほとんど凪であったはずなのに、どどどと怒涛が押し寄せはじめ、自分の膝あたりまでが海水に浸かる。
彼らを援ける気持ちなどふっとんでしまい、逃げるようにその場を離れ、階段を上る。
上った堤防を降りるとそこは、商業地と住宅地の境界地のようである。
地面が濡れているので、ここまで波がおよんでくるのかと思いきや、さっきまで雨が降っていたことがわかる。
街路灯はおしゃれなデザインであり、道路はワイン色に舗装されている。
右手に大江戸線の新設駅の出入り口があり、人材派遣会社に登録しているらしい日雇い労働の若者が数人待ち合わせている。ぴかぴかの都営のバス停もある。
どうやら人工海浜を隔てる堤防のこちら側は、外側の海の惨劇などには全く関わりを持たない世界であることがわかり、散っていった若者達には申し訳ないがホッとした気持ちでいる。
ここは新しい街のようだ。
このまま歩いて行けば、自分自身の懐かしい場所に辿り着くことができるだろう(という心持でいる)。
[了]<考察>
私のような単純頭には、精神分析なんて必要ありません。
掛け布団がズレており、非常に寒い睡眠状態だったせいです。崩れた本が足先にかぶっており大変冷たいのでした。
とはいえ、夢の内容には何らかの経験が関わっているかと思われます。
しかしまあ、そんなことはどうでもいいです。
ところでこの夢を記していて直ぐに思い浮かんだのは、高校時代に知った、井上靖の「友」です。
引用させていただきます。
どうしてこんな解りきつたことが
いままで思ひつかなかつたろう。
敗戰の祖國へ
君にはほかにどんな帰り方もなかつたのだ。
―海峡の底を歩いて帰る以外。
あと、神生彩史の一句(未確認)も思い起こされます。
(申し訳ありません、もしかすると、もっと違った句かもしれませんが......。)
深海の魚族華やぐ原爆忌