雑音が音楽を変える

多木浩二、「雑音が音楽を変える」、『大航海 No.56』所収.

ノイズについて、そのリズムの特徴によって、ルイジ・ルッソロがたてた六分類が載っていた。
引用します。

  1. 車のゴロゴロいう音、唸り声、爆発音、衝突音、サブンという音、とどろくような音。
  2. 空気を吹き出す音、(蒸気などが)シューッと吹き出す音、荒い鼻息。
  3. ささやくような音、つぶやき、もぐもぐ言う、不平を言う、水がゴボゴボ流れる音。
  4. 金きり音、キーキー軋む音、やかましく言う声、機械がぶんぶん言う音、ばりばりいう音、こするような音。
  5. 金属、木、皮、石、テラコッタなどを叩く音。
  6. 動物と人間の声――叫び、笑いなど。

このうち、あまり聞く機会がないのは、「皮」「石」「テラコッタ」などを叩く音だろうか。
皮を叩く音になると一体何を想起すればよいのかちょっと判らない。連想ではアフリカ象の皮を叩く音である。固いピチャピチャという響き。しかし経験したわけではないのでこれも想像。

ルッソロは『雑音の芸術』(1913年)のなかで、「われわれはノイズの驚くべき多様性をハーモニックかつリズミカルに調整し、法則づけようとおもう」「あらゆるノイズは、その変則的なヴァイブレーションの全体を支配する調子、あるいはハーモニーをもっている」と書いているそうだ。
彼は独自のノイズ発生楽器「イントーナルモリ」を製作し、後にはオーケストラとの共演を果たした。
電気増幅装置が登場する以前、およそ1世紀前の話である。すごい。本朝に寄せて云うと平賀源内的というべきだろうか。

私も幼児の頃から都市の響きを聴くことが好きだったなあ。
好みの中心は機械音ということになるが、深夜アパートの天井から漏れ聞こえてくる隣人の不明瞭で変形したような話聲、舗道を叩く靴音、遠華火、トタン屋根に降るやわらかい春雨・時雨、鉄筋ビルに反響する打撃音などなど人間や時候によるサウンズも偏聴していたように思う。

そして、ここまで書いて触れておかずにいられないのが、夢野久作の短編「童貞」(1931年)!

......はるかに、いろんな物音が聞こえて来る。電車、自動車、飛行機のうなり、工場の笛......その他、もの悲しいような......淋しいようないろいろな物音がこの空地に流れ込んで、草の株を枕にした彼の耳元まで忍び寄ってきた。/彼はそのような物音のシンフォニーに聞き入った。何も考えないままにその方に惹きつけられていった。/あとからあとから起る新しい雑音の旋律......遠く近くから風のように......水のようにさまよい起る大東京のどよめき......その中に彼は、彼が作曲したいずれの楽譜よりも新しい、底強い魅力を発見した。構成派でもなければ写実派でもない......大地と大空とが直接奏でる「人類文化」の噪音交響楽......徹底した真剣な音楽をシミジミと大地に横たわって聞く......そこに彼は、無限の新しい技巧を感得した。/彼はかつての日、深く自信もし、愛惜していた自分の天才が、如何に小さく安っぽいものであるかをこの時初めて悟ったのであった。そうして言い知れぬ感激のために腸の底まで強直してしまったのであった......眼は向こう側の高いスレート屋根を這い昇って行く朱色の日ざしを凝視しながら......心はこの大地のオーケストラ......二度と繰り返されないであろう微妙な非音階音が縺れ合い、重なり合いつつ奏でて行く「大都会の夕暮」の哀調に恍惚として、今までにない慰安と幸福とを感じた。......「にんげんの音楽は皆似せものであった。......自分の音楽も似せものであった。......自分は要するに無用の存在であった。......自分は死んでも本当の音楽はこうして永遠に、地上に繰り返されていくのだ。......ありがたいありがたい......なつかしいなつかしい......嬉しい......楽しい....../


このように行路病者であり童貞である音楽家が地に臥し聴いている帝都の音響を、逃亡者・ラシャメン瑠璃子が邪魔する展開となるのだが、わたしはストーリーの殆どをすっとばして、この部分だけ5年に一度ばかり再読するのである。


世界の調律 サウンドスケープとはなにか (平凡社ライブラリー)

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