橋より橋へ

エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーの作品をながめていたら、今更ながらああっと気づいた。
伝説的なマンガ「人間時計」である。これって、画風が表現主義だったんですね。貼り付け画像(電子コミック版のサンプル)では分かりづらいかもしれませんが......。

たしか、エピグラムは、ド・ラ・メトリ『人間機械論』で、主人公・“聲ただし”が「〜なのさ」調で読み上げていました。彼の実家は神田・チューリップ通りで時計店を営んでいます。狂ったデッサンのなかに登場するひとびとの表情がとてもキルヒナーしているのです。
ちなみに、「怪談・猫の喪服」の主人公の名前は“指地図夫”です。このセンス!こうした人間的なものと非人間的なものとの間の不穏な存在感を漂わせる何かに惹かれるというのは、抑圧されていた、本来親しかったものが現出したからこそなのかも知れません。

そして、前衛俳句作品が自家薬籠中のものとしているのがこの「不気味」さかと思います。

ところで、キルヒナーの左の作品を見るたびに想起されたのが、西東三鬼の
道化師や大いに笑ふ馬より落ち  

だったのですが、神田秀夫「西東三鬼管見」(東京四季出版『西東三鬼の世界』所収) を読んで、その鋭い読み込みにすっかり影響されてしまいました。
「(...)「道化師の句」も、人を笑はせてゐる人間を歌ふのではあるが、彼がもし、そのつもりもなく、不覚で「馬より落ち」てたとしたら、どうであらうか、―――作者の眼はそこまで行つてゐるやうに思う。(...)三鬼の句は、その底辺に、昭和以後の日本の現実に対して、見知らぬ、路傍の、旅の男の黒マントといつたやうな孤独感を、持つてゐる。三鬼は、他国者である。エトランジェである。これは後年まで、ずつとさうであつて、三鬼句集究明の根本の点の鍵であると思ふ。」

[追記]
以下のキルヒナー作品は上のサンプル画像に近く感じます。