(いまのところ)戦争体験世代ではないけれど、三菱重工爆破事件、ひょうたん池大学近辺でのウチゲバ殺人事件、オウム真理教サリン散布事件などは、非常に身辺な出来事として記憶されている。あと黒死舘大学構内殺人事件も、同区内の高校生だったので、当日の報道ヘリの襲来が記憶に生々しい。
ピース缶爆弾事件、新宿クリスマスツリー爆弾事件は幼稚園生あたりの頃なので生々しい記憶はない。浅間山荘事件も一切記憶にないが、TV番組の懐かし映像等であの“玉掛け鉄球”を何度も観ることになったので、あたかも同時的に体験したかのような錯覚がある。

ビートたけしのフライデー編集部襲撃事件による謹慎期間中、オールナイトニッポンでは高田文夫がパーソナリティを代役することがあって、そのなかで、彼の高校時代の親友が爆弾事件をやらかしたことを追想することがあった。
高田先生はその親友らと「明大生狩り」なる物騒な遊びをしたことも告白されていた。明大前駅近くの映画館で、映画鑑賞中の明大生の後頭部を引っぱたいては逃げていくという、ピンポンダッシュ的な御巫山戯だったらしい。年代的にはその狩りの対象が北野武でもあり得たわけだが、たけしは生田校舎に通っていたはずなのでその可能性は低かったであろう……。でも、もしそうであったなら面白いのになあと思うた。

ところで東アジア反日武装戦線・桐島聡メンバーの顔写真は、もはや終生の知り合いのような感じになってきている。ほんとうにどこにでもいそうな面貌なので、迷惑を被った青年が多数いたことだろうと思うと同時に、いまでも粗忽な人間の通報によって迷惑を被る“青年”がいるのではないかとも憶測する。

以前も記したが、暴対法以前は、いわゆるチンピラが一般人にインネンをつける場面をよく目にしたものだ。たまに電車内でも酔い痴れたチンピラが吠えていたりしたが、外見からしてヤクザなので逃げるが勝ちであった。
バブルの頃は、おれは遭遇した事はなかったが、六本木周辺ではファッションヤクザという属性が幅をきかせていたらしい。DCブランドに身をつつんで髪形がとんねるずみたいなので、一見すると一般人なのだが、気安い態度で接すると殴る蹴るの暴行におよぶ人種だったらしい。
いまでは一般市民さんが駅員さんや店員さんなどに吠えているのをたまに見かける。昭和50年代と違うのは、吠え方がチンピラ風味なことだ。
おれは春にやった仕事で、3回ほど電話口で“ヤクザ吠え”されたが、お三人とも「西日本人」「金融系大企業(正規雇用)社員」であり、左遷させられる人間たちであった。

三浦半島で飲食店を経営している、ずっと年下の従兄弟は、店を一新した際に、基地の上官たちが常連になってくれたので先ずほっとしたと云っていた。
「米兵隊って荒れると大変なんだってね?」とかまをかけると、「ろくでもないよ! ほんとうにあいつらはろくでもない!」と語気を荒げていた。

「基地の基地外?」と駄洒落ようと思ったがやめた。

たびたびこのはてな日記に記すことがある、わたしの母校である五流私大で出会ったJ君は、賢くもそこを早々に退学し、とっとと米国大学生となり果てた(なり上がった)、現グローバルマッチョ系ビジネス漢なのだが、当時夏休みに一時帰国したさい俺の部屋にあるジミ・ヘンドリクスのCDを眺めながら、「同じ寮のブライアン(仮)もジミヘンきちがいだったなー。まあ、ある意味本当のきちがいだったんだけどね」と云わはるので、「アメリカ人学生のきちがいぶりには興味があるよ」と返答すると、「ある日、彼の部屋から轟音が流れてくるので見に行ったら、鼓膜がどうにかなっちゃいそうなくらいの大ボリュームでジミヘン聴きながら、ひたすらギリシャ文字だらけの数学本を読んでんだよ」と云うので、「まあ、ながら勉強は誰でもすることでしょ」といなすと、「奴はね、陸軍士官学校にトップクラスの成績で入学したのに、構内の格納庫かなんかに放火して、それを止めにきた教官をぶん殴って放校されたんだよ・・・」とあきれた口調で笑うもんだから、「おれが君のところに遊びにいったら、そのきちがいブライアン(仮)君に会えるのかね?」と若干わくわくしながら訊いてみると、「いや、もう、転校しちゃった。数学だか物理だかのテスト受けてカルテックだか、スタンフォードだかに逝っちまった」とのことであり、それを聞かされたおれは、「やっぱりアメ公の多様性には敵わないのかな日本は……」と若干気圧された体となりながらも、正直、そーいうーきちがいと知り合いになれるJ君を羨ましく感じたんだった……。

べつに爆弾がすきというわけじゃないですよ。
ドリフ的爆発ネタはすきです。何度も貼ってますが、落ち込んだときにこれを観て笑うことがありいす。